楽しく導く — このリポジトリ全体の根本理念¶
このファイルが扱うこと¶
このリポジトリにある教え方のメソッドは、すべて 楽しく導く という理念を実現するためにあります。レベル1の設計、分解、グラデーション、目的の手段化、学習タイプの理解。どれも単独で価値があるものではなく、楽しく導くという目的に向かって組み立てるための道具という位置づけです。
このファイルは、その理念そのものを言語化したものです。憲法のように、他のすべてのメソッドの上位に置かれます。
迷ったら、ここに戻る。新しいメソッドを書こうとするときも、既存のメソッドを使おうとするときも、最終的な判断基準は「これは学習者を楽しく導くことに繋がっているか」という問いに集約されます。
楽しく導くとは¶
「楽しく導く」は、ふたつの要素が両輪になっている考え方です。
楽しく¶
- 学習者が のびのびと 取り組めている状態
- 学習者本人が 楽しい と感じている
- 楽しさは人によって違うので、指導者の感覚で決めつけない
心理学では、人が自分から取り組みたくなる状態は「内発的動機づけ」と呼ばれます。自己決定理論では、内発的動機づけが生まれる条件として「自律性(自分で選んでいる感覚)」「有能感(できるようになっている感覚)」「関係性(受け入れられている感覚)」の3つが挙げられています(Deci & Ryan, 2000)。
楽しく取り組めている状態というのは、この3つが揃った状態に近いという見方です。
また、適度な難易度の課題に没頭している状態を フロー と呼びます(Csikszentmihalyi, 1990)。簡単すぎると退屈になり、難しすぎると不安になる。その間にあるのがフローです。レベル1から始めて少しずつ難しくしていくという考え方は、このフロー状態を保ち続けるための設計でもあります。
導く¶
- 学習者が 上達・向上する
- ただし、指導者が直接教え込むのではなく、本人の努力で少しずつ上達できるように仕向ける
- そのために整えるのは、環境 と メニュー と 声かけ の3つ
心理学では、学習者が今ひとりではできないけれども、ちょっとした手助けがあればできるようになる領域を「最近接発達領域(ZPD)」と呼びます(Vygotsky, 1934)。指導者の役割は、この領域に踏み石を置く(=スキャフォールディング, Wood, Bruner & Ross, 1976)ことだと整理されています。
そして「自分にもできた」という成功体験の積み重ねが、本人の中の 自己効力感(できる感覚)を育てていきます(Bandura, 1977)。自己効力感が育つと、学習者は自分から次に挑戦するようになる。これが「導く」が目指している状態です。
楽しいだけで上達がなければ半分しか達成していない、という感覚です。逆に上達させても楽しくなければ続かないので、これも半分しか達成していない。両方が揃ったときに初めて「楽しく導けた」と言えます。
指導者がはまりがちな落とし穴¶
1. 自分の感覚で楽しさを決めつける¶
少年サッカーで、大人に「子供がサッカーで感じる楽しさとは何か」と聞くと、多くの人が「シュートを決めたとき」「試合に勝ったとき」と答えます。
ところが実際に子供たち自身にアンケートを取ってみると、1位は行き帰りの車の中でした。みんなで写真を撮るのも10位以内に入っていました。シュートや勝利は30番目以降です。
これが何を表しているかというと、指導者は学習者の楽しさを、自分の想像で決めてしまっているということです。「相手はきっとこれが楽しいはず」という思い込みで指導を組み立てると、学習者本人は楽しんでいないという状態が起きます。
これは心理学で「フォールス・コンセンサス効果(false consensus effect)」と呼ばれる現象に近いです(Ross, Greene & House, 1977)。自分の考え・好み・感覚が、他の人にも共通していると無意識に思い込んでしまう傾向です。指導者という立場ではこの傾向が強く出やすい、という前提を持っておくのが現実的だと考えています。
楽しさの種類は人によって違うので、本人に聞く・観察する以外に正しく把握する方法はないという見方をしています。
2. 楽しい時間にお説教を持ち込む¶
行き帰りの車の中が楽しい時間の1位だと知っていれば、その車の中で延々とお説教をするのが最悪の行為だということが分かります。
楽しい時間を、指導者の意図でつぶしてしまう。これは習い事をやめる直接の原因になりやすい場面です。
ノーベル経済学賞のカーネマンが示した「ピーク・エンドの法則」によれば、人はある体験を全体としてではなく、ピークの瞬間 と 終わりの瞬間 で記憶します(Kahneman et al., 1993)。練習がいくら楽しくても、行き帰りの車(=終わり)でお説教を受けたら、その日の体験は「お説教の日」として記憶されます。終わり方は、体験全体の評価を作り変える力を持っています。
3. 怒鳴る・理不尽に叱る¶
技術的なミスや、指導者の意図とずれた行動に対して、怒鳴る・理不尽に叱るというやり方をする指導者がいます。
これは「のびのびと取り組めている状態」を瞬時に壊します。一度怖いと感じた学習者は、その後の練習で萎縮します。萎縮した状態では本人の努力で上達できる環境が成立しないので、楽しさだけでなく上達という側の目的も同時に損ないます。
近年の組織研究では、メンバーが安心して挑戦・発言・失敗できる場の状態を「心理的安全性」と呼んでいます(Edmondson, 1999)。これが崩れると、メンバーは挑戦を避けて無難な行動に逃げるようになります。怒鳴る指導者がいる場では、この心理的安全性が成立しません。
さらに、自分の努力では結果が変わらないという経験を繰り返すと「学習性無力感」と呼ばれる状態になり、本人が試行錯誤すること自体をやめてしまいます(Seligman & Maier, 1967)。理不尽な叱責は、この学習性無力感を生む典型的な条件です。
4. 上達を急ぐあまり楽しさを犠牲にする¶
「早く上達させたい」「結果を出させたい」という気持ちが強くなると、楽しさが後回しになります。
楽しくない練習でも結果が出れば良い、という考え方は、短期的にはうまくいくことがあります。ただ、そこで楽しさを失った学習者は、競技や学びから離れていきやすい。長い目で見ると、本人の可能性を閉じてしまっているという見方です。
これに関連して「アンダーマイニング効果」という研究があります(Deci, 1971)。本来は楽しんでやっていた活動に、外からの報酬や圧力(賞罰、競争、評価)を強く加えると、内発的動機づけが弱まり、楽しめなくなってしまう、という現象です。
「上達させたい」という指導者の意図が、学習者本人の「楽しい」を侵食してしまう。これは構造的に起きやすいので、意識して避ける必要があると考えています。
楽しさは人によって違う¶
楽しく導くを成立させるうえで、もっとも見落とされやすい前提が「楽しさは人によって違う」ということです。
例えばキックボクシングを教えている場面で、目の前にいる学習者が何を楽しんでいるかは一通りではありません。
- 強くなりたい・技術を向上させたい人
- 自分なりのフォームでサンドバッグを叩く・蹴ること自体が楽しい人
- 見栄えのするアクロバティックな技を覚えるのが楽しい人
3番目の人に「正しいフォームは…」「強くなるためには…」と話すと、楽しさを取り上げてしまうことになります。指導者からすると「強くなるために来ているはず」という前提が崩れる場面ですが、学習者にとっては自分の楽しみが否定された経験になります。
楽しさが何かを正しく把握しないまま指導を組むと、本人の楽しさを毀損する危険があるという感覚です。指導者は「楽しさは人それぞれ違う」というだけでなく、どのような楽しさがあり得るのかというところまで突き詰めて知っておくことが必要だと考えています。
タイプ分けは「相手を当てる道具」ではなく「自分の偏りを脱出する道具」¶
人にはいろいろなタイプがあります。学習タイプ(なぜ/何/どうやって/今すぐ)、4スタンス理論(身体の使い方の個人差)、バースデーサイエンス(生年月日からの傾向)など、世の中には多くのタイプ分けの体系があります。
このリポジトリでも、これらをいくつか取り入れています。ただし、ここで強調しておきたいのは タイプ分けの使い方 です。
タイプ分けは、相手をどのタイプに当てはめて、それに応じた対応を取る ための道具ではありません。そうした使い方は、心理学の研究でも効果が支持されていない場合が多くあります(学習スタイル説への批判:Pashler et al., 2008 など)。
このリポジトリでのタイプ分けは、指導者自身が「世の中には自分とは違うタイプの人がいる」「そのタイプの中にはこういう種類が存在する」ということを理解する ために使います。
この理解がないと、自分の考え・経験・感覚が無自覚のうちに優先されてしまいます。先ほど触れた フォールス・コンセンサス効果 が、ここでも働きます。
タイプ分けを知っておくことは、指導者が自分の偏りに気づくための鏡のような役割を果たします。「自分はこう感じるけれど、別のタイプの人はそう感じないかもしれない」という視点を、常に持てるようになる。これが、現場で目の前の学習者を観察するときの解像度を上げてくれます。
個別のタイプ分け(学習4タイプ/4スタンス理論/バースデーサイエンス等)は、それぞれ別のメソッドで具体的に扱います。ここで押さえておきたいのは、どのタイプ分けを使うときも、相手を当てる道具ではなく、自分を点検する道具として使う、という心構えのほうです。
なぜ「楽しく導く」が根本に立つのか¶
『マンガで分かる心療内科』(原案:ゆうきゆう/作画:ソウ)に、印象に残っているエピソードがあります。「1万時間やれば誰でもプロ!〜ピグマリオン効果」という回で、各分野のプロフェッショナルになった人たちが、最初にどんな先生と出会っていたのかが取り上げられていました。
そこで示されていたのは、プロの最初の先生はみんな「優しくて楽しみを教えてくれる先生」だったという共通点でした。最初から厳しく仕込んだ人、技術的に最先端だった人、ではなく、その分野を楽しく取り組ませてくれた人が、最初に出会った指導者だった、ということです。
このマンガでも触れられている ピグマリオン効果 は、教師が「この子はできる」と思って接することで、実際にその子の成績が向上するという研究です(Rosenthal & Jacobson, 1968)。「優しくて楽しみを教えてくれる先生」とは、無自覚にこのピグマリオン効果を起こせていた人たちなのかもしれません。
子供のころに最初に出会った指導者によって、その子の未来は大きく変わるという見方をしています。
理不尽に怒鳴られたり、難しさだけを感じたりすると、当たり前ですが楽しくなくなります。楽しくなくなると、その競技や習い事に魅力を感じなくなって、やめてしまう。本来であればその先で大きく開花したかもしれない可能性が、最初の指導者との出会いによって閉ざされてしまう、ということが現実によく起きています。
これは個人の損失であると同時に、世界にとっての損失だと考えています。
仮にその子が将来トップのピアニストになる可能性を持っていたとしても、最初の先生に出会わなかったらそこに到達しなかった。逆に、最初の先生が楽しくない指導をする人だったら、本人の可能性に気づかれることもなく、別の道を選んでいたかもしれません。
「楽しく導く」を根本に置く理由はここにあります。技術論や速さの議論よりも先に、まず学習者が この場にいて楽しい・続けたい と思える状態を作る。これが指導者・保護者の最初の役割だと考えています。
領域別の例¶
スポーツ指導¶
試合に出られない子に、罰のような扱いをしない。出られない時間にも、別の楽しさを設計する(分析役・応援・別メニュー)。「行き帰りの車でお説教をしない」もここに含まれます。
学校(教科指導)¶
正解できなかった子に「違うよ」と切り返さず、「じゃあ次に行こう」「こういう考え方もあるね」と進める。クラス全体の前で間違いを晒す形にしない。これでのびのびと手を挙げられる場が生まれる、という感覚です。
家庭(子供との関わり)¶
宿題を見るときに、できないところを叱らない。一緒に分解して、できるところから取り組ませる。学習以外の時間(食事中・寝る前・送迎中)に、勉強や習い事の説教を持ち込まない。
趣味の習い事(大人)¶
仕事帰りに通っている英会話教室で、文法のミスを毎回指摘されると続かなくなります。「通うこと自体が楽しい」を最優先にした場の作り方が、結果として上達にも繋がるという見方です。
仕事のOJT¶
新人に指示を出すときに、できなかったことを責めるのではなく、次に何をすればよいかに焦点を当てる。「そうじゃなくて」ではなく「じゃあ次はこうしよう」と切り替える声かけが、楽しく学べる環境を作ります。
これらに共通しているのは、学習者がその場にいることを楽しいと感じられているという前提を、指導者の側が壊さないようにしている点です。
メソッド群は「導く」の具体手段¶
このリポジトリにある他のメソッドは、すべて 「導く」を実現するための具体的な道具 という位置づけです。
- レベル1の設計:本人が確実に成功できる最初のステップを置く。最近接発達領域(ZPD)の入口にスキャフォールディングを置く発想と重なります。成功体験の積み重ねが自己効力感を育てます
- 分解:複雑なものを小さな要素に分ける。心理学で言う 認知負荷理論(Sweller, 1988)の観点でも、課題の内在的負荷を分割することは学習の効率を上げる手立てとして整理されています
- グラデーション:簡単なところと難しいところの境目を感じさせない。フロー状態を保ち続けるための難易度設計に近い
- 目的の手段化を避ける:本来の目的を見失わないようにメニューを設計する。練習自体が目的にすり替わっていないかを点検する
- 学習タイプの理解:先述した「タイプ分けの使い方」原則のもとで、学習者の理解の仕方の多様性を知り、説明の幅を広げるために使う
どれも、「指導者が直接教え込む」ためのものではありません。学習者本人の努力で少しずつ上達できるような、環境・メニュー・声かけを設計するための道具です。
ここを取り違えて、メソッドを「速く教え込むためのテクニック」として使ってしまうと、楽しく導くという理念から外れます。メソッドを使うときは、毎回この理念に立ち返ることが必要だと考えています。
指導者の役割についての考え方¶
「楽しく導く」を根本に置くと、指導者の役割は自然と変わります。
知識や技術を伝える人、というよりは、学習者がのびのび楽しく取り組めて、本人の努力で少しずつ上達できる場を作る人。
直接教えるよりも、観察する・場を整える・声をかける、の比重が大きくなります。
これは自己決定理論で言うところの「自律性支援」(autonomy support)に近い姿勢です。指導者が答えを与えるのではなく、学習者が自分で選び、自分で気づき、自分で修正していけるように、環境と問いを整えていく。
こうした関わりが続くと、学習者は自分で自分の学習を進められるようになります(自己調整学習, Zimmerman, 1989)。これが「教えなくても回る」状態です。
70名規模のチームをマネジメントしていたときも、サッカーの少年指導をしているときも、似た発想に行き着きました。自分が動かなくても、現場が良い方向に回っている状態を作るのが、いちばん良い指導者・マネージャーの状態だという感覚です。
教えなくても、学習者が自分から取り組み始める。
指示しなくても、メンバーが自分で判断して動く。
そういう状態を遠くに置きながら、目の前の学習者と向き合っていくのが、楽しく導くという理念の実装だと考えています。
指導者への問い直し¶
このリポジトリのメソッドを使うとき、または日々の指導を振り返るときに、自分に向けてみる問いです。
- 自分が思っている「楽しさ」を、学習者の楽しさだと思い込んでいないか
- 学習者が今、のびのびと取り組めているか(=心理的安全性は確保されているか)
- 学習者本人にとっての楽しさが何かを、観察し・聞いてみたか
- 上達を急ぐあまり、楽しさを犠牲にしていないか(=アンダーマイニングを起こしていないか)
- 学習者が自分の努力で少しずつ上達できるような、環境・メニュー・声かけを用意できているか
- 「直接教えること」と「導くこと」を混同していないか
- 楽しい時間(行き帰りの車・食事中・寝る前など)を、自分の意図でつぶしていないか(=ピーク・エンドの最後を悪い記憶で塗らないか)
- 怒鳴る・理不尽に叱るが、習慣になっていないか
- タイプ分けを「相手を当てる道具」として使ってしまっていないか
最後にもうひとつ。
- いま自分が向き合っている学習者の未来は、自分との出会いによって少しでも開かれているだろうか
参考にしている考え方(出典)¶
このメソッドの背景にある主な心理学・教育学の考え方です。原典に当たりたい方の手がかりとして残しておきます。
| 考え方 | 主な提唱者・出典 |
|---|---|
| 自己決定理論/内発的動機づけ(自律性・有能感・関係性) | Deci & Ryan (2000) |
| フロー体験 | Csikszentmihalyi (1990) |
| 最近接発達領域(ZPD) | Vygotsky (1934) |
| スキャフォールディング | Wood, Bruner & Ross (1976) |
| 自己効力感 | Bandura (1977) |
| フォールス・コンセンサス効果 | Ross, Greene & House (1977) |
| ピーク・エンドの法則 | Kahneman et al. (1993) |
| 心理的安全性 | Edmondson (1999) |
| 学習性無力感 | Seligman & Maier (1967) |
| アンダーマイニング効果 | Deci (1971) |
| ピグマリオン効果 | Rosenthal & Jacobson (1968) |
| 認知負荷理論 | Sweller (1988) |
| 自己調整学習・自律性支援 | Zimmerman (1989) / Deci & Ryan |
| 学習スタイル説への批判(タイプ分けの使い方の根拠) | Pashler et al. (2008) |
なお、このリポジトリで取り入れている個別のタイプ分け(学習4タイプ/4スタンス理論/バースデーサイエンス等)の使い方の原則については、別メソッドで詳しく扱います。